東京の4大落語団体の一つ「落語立川流」は、7代目立川談志とその弟子とその一門による落語家団体。
東京の4大落語団体の一つ「落語立川流」
1983年に7代目立川談志が、落語協会の真打昇進試験に弟子が不合格になったことに納得がいかず、脱退し一門弟子達と結成した「落語立川流」。
今回はその中でも「落語立川流会」を取り上げてみたいと思います。
- 1983年に7代目立川談志が落語協会より脱退し設立。
- 所属人数は約57人。
- 代表は土橋亭里う馬。理事は立川談四楼、立川志の輔、立川志らく、立川雲水。
- 所属の人気落語家は立川談志、立川志の輔、立川志らく、立川談春、立川談笑、立川生志、立川こしらなど。
- 立川流の真打昇進条件は談志の時は、落語100演目+レベルの高い歌舞音曲を覚える。
- 家元制度を導入し、弟子達たちから上納金をせしめる。
- 立川流の独特の所属システムを導入!
落語立川流の基本情報
落語立川流会の基本情報
- 設立日/1983年
- 所属落語家人数/約57人
- 理事&トップ/〈代表〉土橋亭里う馬 〈理事〉立川談四楼、立川志の輔、立川志らく、立川雲水
- 有名落語家/立川談志、立川志の輔、立川志らく、立川談春、立川談笑、立川生志、立川こしら
- 活動場所/お江戸上野広小路亭、お江戸日本橋亭
- 主な立川流顧問//山藤章二、石原慎太郎、野末陳平、森繁久彌、川内康範、手塚治虫、17代目中村勘三郎など
落語立川流会の豆知識
- 東京の4大寄席には落語立川流は出演できないので、独演会などのホール落語やメディアに積極的に進出し、仕事を自ら勝ち取ろうとする。
- ビートたけしさんは立川談春の原作ドラマ「赤めだか」で談志役をつとめ、その後、談春の弟子になり落語名を「立川売春」にした。ちなみに高田文夫さんは「立川藤志楼(たてかわ とうしろう)」
- 恒例「談志まつり」は命日の11月21日に合わせて開催されてます。有楽町よみうりホールで令和4年11月21日も三年ぶりに開催!談志の直弟子「立川平林・立川小談志・立川談笑・立川キウイ・立川談春・立川雲水・立川志らく・立川談之助・立川里う馬」が出演!
- 笑点は立川談志さんが発案者。テレビで一般視聴者に楽しんでもらえるコンテンツとして、寄席でやっていた大喜利をメインに落語番組を作ろうと発案し、初代司会者として君臨。ただ現在、立川流の落語家は笑点に出演してません。
落語団体の所属落語家人数
東京の4団体の大きさを表すのはどれだけ所属落語家がいるか。落語協会310人(54%)、落語芸術協会166人(29%)、立川流57人(10%)、円楽一門会37人(6.5%)です。
笑点メンバーの所属してる協会
¥笑点メンバーには残念ながら落語立川流所属の落語家さんはいません。
・円楽一門会/三遊亭円楽、三遊亭好楽
・落語芸術協会/春風亭昇太、三遊亭小遊三、桂宮治
・落語家協会/林家木久扇、林家たい平
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春風亭一之輔、柳家喬太郎、桃月庵白酒、
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落語立川流の誕生の歴史

落語立川流がどうしてできたのか簡単に歴史を追っていきます。
まずはそもそも落語4団体の歴史の流れについて。
落語界全体の歴史の流れ

落語芸術協会を含む4つの団体は大正12年にできた「東京落語協会」が大元。
とにかく明治・大正初期は落語家達の独立心や自己主張が強いのか、とにかく分裂してくっついてを繰り返しました。
落語立川流の歴史と経緯
▼「落語立川流」設立までの簡単な流れ
- 1978年に真打昇進基準に反対し、三遊亭圓生が落語協会から脱退。
- 1980年11月に分裂騒動の原因が真打昇進の不透明性にあったため、真打昇進試験を実施。
- 1983年10月に第3回真打昇進認定試験実施。弟子が二人不合格だったことに立川談志激怒で落語協会脱退。
- 1983年立川流落語会創設。
立川談志の弟子の立川談四楼、立川小談志(のち喜久亭寿楽)が、1983年10月の第3回真打昇進認定試験に不合格になり、他の明らかに実力がない者が合格になったのを理由に、この不透明な基準に談志は激怒。
自ら落語立川流を設立し、自分の納得できる昇進システムを作りあげました。
他にない!落語立川流の特徴!
落語団体数あれど、やっぱり立川談志が作っただけあって、とにかく他とは一線を隠す「落語立川流」の独特なシステムと他にない特徴があります。
立川流の所属システム
家元制度を導入!
家元制度というのは、ようは落語を教える&弟子にする&落語家の名前を与える代わりに上納金をもらうぞって話。
また、談志の弟子達も師匠になれば、自分の弟子から上納金を貰えました。ちなみに条件も昇進内容もそれぞれのコースにより違います。
▼落語立川流所属コースは3つ!
- 【Aコース】プロ落語家を育てる従来の師弟関係コース
- 【Bコース】芸能人や有名人が落語家の名前を貰える。
- 【Cコース】お金を払うだけで弟子になれるが、落語家にはなれない。
2011年11月21日の立川談志のなくなり、2012年1月に一門で話し合いが持たれた結果、家元制度は廃止された。
立川流の真打昇進システム
真打昇進の透明化!
元々立川談志が落語協会を脱退したのは、真打昇進に関しての基準が不透明だから。だからこそ立川談志の作った落語立川流では、昇進に関しても明確な基準がありました。
▼Aコース昇進試験条件について
●「二つ目昇進」は落語50席+歌舞音曲を覚える。
●「真打昇進」は落語100演目+レベルの高い歌舞音曲を覚える。
※歌舞音曲は都々逸・長唄・かっぽれなどの伝統芸能。※ちなみにB・Cコースは条件が違います。
面白いのは立川談志という傍若無人で無鉄砲な落語家なので、普通は「俺が気に入ったやつは昇進させる、気に入らないやつは昇進させない」って感じにも映るのですが、逆に明確な基準を設けた所。
もちろん、これがどのレベルで出来てるかは談志さんの判断になるのですが。。。
ちなみに優秀な落語家である弟子の「立川生志」さんはなかなか昇進を認めませんでしたし、逆に弟弟子を先に昇進させました。落ち込んでる生志さんに談志さんはある言葉をかけます。
「先に談慶を真打にしたがアレは違うから。おまえわかってるな?」
おそらく、お前と真打にするための基準、ハードルが違う。あいつはこれぐらいしか無理だが、お前はもっと高いハードルを越えれるからあえて高い基準を設けた。みたいな。
その後、弟子達が師匠となると、内容や決め方は師匠毎にこの基準を微妙にアレンジした形となりました。例えば5年目までに二ツ目になれないと破門とか。
2011年11月21日の立川談志が死去後の2012年1月の新体制発足以後は、前座修行が最低3年必要になりました。
落語立川流の有名落語家達
落語立川流は人気落語家が沢山所属しています。逆に寄席に出られないということもあり、メディア等にも積極的出演してるので、知ってる人が多いのではないでしょうか。
『7代目立川談志』言わずとしれた家元!
- 師匠/五代目柳家小さん(破門済)
- 入門/1952年
- 生年月日/1935年12月2日〜 2011年11月21日(75歳没)
- 昇進/1954年3月二ツ目昇進、1963年4月真打昇進「立川談志襲名」
あらゆる形容詞&枕言葉がつく「立川談志」!
伝説の落語家は2011年11月21日に75歳で死去。昭和後期の落語四天王「立川談志」「古今亭志ん朝」「三遊亭圓楽」「月の家圓鏡」の一人。その中でも立川談志と古今亭志ん朝は2トップ。ライバルとして互いを認めていました。
古典落語を主軸として、そこに現代的なアプローチや独自のアレンジを加え、他の落語家がやる落語とひと味もふた味も違った。ただ、あまり新作落語には肯定的だはなかった。
中学卒業後に柳家小さんに入門したから、学歴がないことにコンプレックスを抱えていた。その代わり芸事や芸能史、落語から哲学まであらゆる分野に造詣が深かった。
落語協会を脱退し、自分の団体を作り、時には弟子を一斉にクビにしたり、名物番組「笑点」を作ったり、参議院議員に立候補して政治家になったり。また観客とケンカし裁判沙汰になったり。
とにかく一挙手一投足がすべてスキャンダルになる人物。それでも、いやそれだからこそ魅力的で、憎めず弟子入門志願も後を立たなかった。
談志の落語を聴いて落語家になった人は数しれず。また別分野にも多大なる影響。
神田伯山さんは談志の魅力にハマり何故か講談師に、伊集院光さんは談志の落語をきき落語家をやめ、爆笑問題太田さんは冗談で俺の隠し子なんだよっていわれ、尊敬する談志さんと番組やDVDを作る。
落語家としての魅力、人間としての魅力は計り知れない。
『立川志の輔』現在の代表落語家
- 師匠/7代目立川談志
- 入門/1983年1月
- 生年月日/1954年2月15日(68歳)
- 昇進/1984年10月二ツ目昇進、1990年5月真打昇進。
落語立川流の出世頭!
今一番チケットのとれない落語家「立川志の輔」!
3歳の頃に母親がなくなり、祖父母の家で伯父夫婦に育てられました。大学は仕送りをもらって明治大学へいき、そこで落語研究会に入り落語を始めます。
その後、落語家になるための金を貯めるため広告代理店に就職。高校時代の同級生と結婚後の28歳で落語家になります。
談志の弟子になり数々の苦労と修行の末、大人気落語家になります。
新作落語にも果敢に挑戦し、一ヶ月に渡り毎年1万人を集めるパルコ劇場での落語会「志の輔らくご」も有名。
あらゆるメディア・紙面に登場し、冠番組ももっていた落語家。落語家として不動の地位を確立している大人気の落語家です。
『立川志らく』メディアでもお馴染み!
▲談志さんのアンドロイドと。
- 師匠/7代目立川談志
- 入門/1985年10月
- 生年月日/1963年8月16日(59歳)
- 昇進/1988年3月二ツ目昇進、1995年11月真打昇進。
人気・知名度は抜群!
ここ5年において、とにかく一番注目の落語家!
日本大学芸術学部演劇学科で通ってる時に、落語研究会に所属。1985年10月の大学4年生の時に日芸落研の先輩の高田文夫さんの紹介で立川談志に入門。
映画好きが功を奏して、映画を元にした落語のシネマ落語に挑戦したり、 劇団を立ち上げたりなど多方面で活躍。
最近は渡辺プロに所属したこともきっかけか、テレビ等に積極的に進出。朝の帯番組で司会をするなどとにかく知名度急上昇!
立川流の弟子になったら必ずいく、築地での労働にも行きたくないといかず、それでも許されるほど談志からの信頼を集めていた。なんせ談志が「あいつは天才」とまで言わせた落語家。
現在、談志の住んでいた家に住み、ある意味談志の継承者としての地位を得ている。ただ、談春さんはそれが気に入らないW
『立川談春』ドラマや落語家として大活躍!
- 師匠/7代目立川談志
- 入門/1984年3月
- 生年月日/1966年6月27日(56歳)
- 昇進/1988年3月3日二つ目昇進、1997年9月20日真打昇進
立川流でナンバー2の座を志らくと争う!
落語家として1200席クラスのホールで落語ができる数少ない落語家の一人「立川談春」さん。
高校中退して1984年3月に談志に入門。立川流恒例の弟子入りした人間の築地での労働にもいやいやながら行きました。
1990年代には立川志らくと立川談々と立川ボーイズを結成し、爆笑問題やさま~ずと同時代にバラエティ番組にも積極的に進出。なんとなく芸風は華丸大吉、なすなかにし的な感じ⁉
その後、落語家としても人気・実力が認められ、エッセイ本「赤めだか」も話題、更に話題のドラマ「下町ロケット」に出演とあらゆる方面で活躍しています。
ちなみに、談春さんと志らくさんははっきり言って仲が悪い!志らくさんは「私は嫌いじゃないですが、あちら嫌ってるんです」と話してました。なぜ二人が仲悪いかはコチラの記事で。
『立川談笑』立川流のナンバー4
- 師匠/7代目立川談志
- 入門/1993年
- 生年月日/1965年9月23日(57歳)
- 昇進/1996年7月二ツ目昇進、2003年に六代目立川談笑を襲名。
立川流のナンバー4!立川談笑さん!
早稲田大学法学部卒業後、司法試験の勉強に励んでいたかが、なぜか放送作家でラジオパーソナリティの高田文夫さん(立川流より立川藤志楼をもらう)の落語を聴き、高田先生に入門しようとします。
しかし、高田先生に俺ではなく、談志さんを紹介するからといわれ結局談志さんに入門。
基本は古典落語だがアレンジ色も強く、時には新作落語も披露しています。また、若い頃はテレビのおはよう!ナイスデイやとくダネ!などでレポーターとしても活躍。料理も得意。
弟子の立川吉笑は現在人気急上昇中!
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