江戸時代から続く亭号「三遊亭、三笑亭、林家、桂 」など。
そもそもは江戸時代後期に初代三遊亭圓生、初代林家正蔵が人気を博し、それが派閥の元祖としてその亭号を受け継ぐ形となっていったといわれています。
その後、様々な亭号が出現したり消滅したりしました。やがて明治時代・大正時代にかけて絶大な人気を得た落語家の出現によって新しい亭号も生まれ、現在まで受け継がれています。
基本的には入門した師匠の亭号を名乗って落語家人生を歩むのですが、真打になったときに別の亭号を名乗ったりすることもあります。
今回の記事では亭号の歴史や大元となった落語家。亭号にまつわる芸風から亭号を代表する名跡などを紹介していきたいと思います。亭号は屋号とも呼ばれます。
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亭号別の特徴と種類
亭号に連綿と継がれる芸風、落語の一門とはなにか、亭号の歴史と特徴について。
亭号と芸風
明治初期は「柳隠居」と「三遊若旦那」といわれ、柳派は洗練された芸風、三遊派は明るい芸風でした。
それが、ともに昭和のスター落語家の五代目柳家小さんと六代目三遊亭圓生の芸風の影響から、「滑稽噺の柳家」と「人情噺の三遊亭」と呼ばれるようになりました。
ただし、その落語家なりの個性の発揮が評価される現在、そのような大別はあまり意味をなさないというのが現状です。
一門とは
単純にいうと同じ亭号の落語家たちのグループのことを一門と呼びます。基本的に弟子は師匠と同じ亭号になるので自動的に一門となるのですが、中には真打昇進を機会に師匠と違う亭号になるものもいます。
その場合、亭号が違うから一門ではないかというとそうではなく、名跡を継いだりなど特別な理由があって亭号を変えただけなので、その人も一門の一員という位置づけになります。
またその一門で一門会と称して落語会を開催したりすることもあります。
桂、林家、立川など東京・上方の両方にある一門がある亭号もあります。
亭号の歴史と特徴
有名な亭号の歴史についてご紹介。すべて江戸時代後期に誕生しています。
三遊亭
●開祖/初代三遊亭圓生
初代三遊亭圓生から始まる、江戸時代後期からある由緒ある亭号です。ことに二代目の圓生の弟子、幕末から明治にかけて活躍した三遊亭圓朝よって三遊亭の亭号は名実ともに不動の存在になりました。
三遊亭圓朝は『怪談牡丹燈籠』『怪談真景累ヶ淵』などの怪談や『鰍沢』『死神』もつくった大名人で「大圓朝」とも呼ばれました。
次に三遊亭の名を上げたのは、江戸時代後期から明治にかけての芸人の「でげす」といった言葉を使った昭和の名人、六代目三遊亭圓生。
七代目を誰が継ぐかで、三遊亭鳳楽・圓丈・圓窓の間でもめたのは、記憶に新しいところです。
柳家
●開祖/船遊亭扇橋
三遊亭とともに柳家の歴史のある亭号です。こちらも始まりは江戸時代の船遊亭扇橋。明治時代に二代目柳家小さん、三代目小さんの活躍により、柳家の亭号が柳派の中心になりました。
滑稽噺を得意とした五代目小さんは落語家初の人間国宝。立川談志や、師匠と同じく後に人間国宝となった柳家小三治といった大勢の弟子を擁した昭和の名人です。
柳家花禄は五代目小さんの孫。
春風亭
●開祖/初代春風亭柳枝
柳派の一つ。柳派の開祖、船遊亭扇橋の弟子が初代麗々亭柳橋、その弟子の初代春風亭柳枝が春風亭と名乗ったことに始まります。
現在の春風亭柳枝の大名跡は、二ツ目まで正太郎を名乗っていた九代目春風亭柳枝に引き継がれました。このブログにも何度か柳枝出演の落語会のレポートを載せてます。
春風亭には現在、春風亭昇太、春風亭一之輔と実力・人気を兼ね備えた落語家が揃ってます。
古今亭
●開祖/初代古今亭志ん生
古今亭の歴史は、初代三遊亭圓生の弟子で二代目になれなかった圓太が一派を出て、初代古今亭志ん生と名乗ったことにより始まりました。
酒や貧乏であったことのエピソードも含めて、亡くなった現在でも人気の五代目志ん生は誰もが認める昭和の名人。そして二人の息子も落語家へ。
十代目金原亭馬生と、その後の落語界を牽引した三代目古今亭志ん朝です。
林家
●開祖/初代林家正蔵
江戸時代に初代林家正蔵が怪談噺で人気を博したことにより始まりました。二代目はなんと元禅僧で『野ざらし』などの作者。
八代目正蔵も伝統を汲んで怪談噺や人情噺で活躍しましたが、1980年に林家三平の死去に伴って正蔵という名前を海老名家に返し、自らは彦六と名乗ります。
その弟子、現在の林家木久翁の鉄板ネタ『彦六伝』は、彦六師匠のユニークさを令和のいまにも伝えています。
海老名家としても有名な七代目の息子が、テレビの普及とともに日本全国に一大ブームを巻き起こした上記の昭和の爆笑王、初代林家三平。
その息子がかつてテレビでこぶ平としておなじみだった現在の九代目林家正蔵と林家三平です。
立川
●開祖/初代立川談志
立川は江戸と上方両方に亭号として引き継がれてる亭号です。上方は幕末に桂、笑福亭としのぎを削りました。江戸では初代立川談志が初代三笑亭可楽の弟子であったとされています。
当初、五代目柳家小さん門下であったのが七代目談志。自らの弟子の真打昇進をめぐる落語協会への不信から協会を飛び出して、落語立川流を創始しました。
七代目談志は「笑点」の初代司会者であり、参議院議員であったこともある、昭和の落語界のまさに風雲児。志の輔、談春、志らく、談笑といった現在の落語界をリードする落語家たちの師匠です。
桂
●開祖/初代桂文治
初代桂文治は江戸時代に上方で活躍しました。上方落語の名跡であったものの三代目以降は東西に分裂し、現在文治の名前を継ぐのは東京の落語家で、明るい滑稽噺で人気の十一代目。
明治時代に初代桂文枝が活躍したことにより、上方においてはその名前が大名跡となりました。
現在の六代目文枝は元は三枝の「いらっしゃい」で有名な全国の人気者です。
亭号雑学
亭号の雑学として「一門でも亭号が違う理由」「亭号ごとの大名跡」「昇進時の名前」の解説です。
❶同じ一門でも亭号が違う
師匠と弟子は同じ亭号のはずなのに、なぜか違う、なんてことがあります。いったいどんな理由があるのか。
▶実は好きな亭号を名乗ってもいい⁉
現在活躍中の五街道雲助は十代目金原亭馬生門下で、前座時代は金原亭駒七であったのですが、二ツ目になった時に五街道雲助に改名しました。五街道雲助という名前自体はオリジナルではなく雲助師匠は六代目です。
真打になったら自分の一家を構えるのだから、という理由で、弟子の三人にも真打昇進を機にこれまでに落語の歴史に存在してはいたもののそれまでに途絶えていた名前を名のらせています。
また春風亭柳昇門下の瀧川鯉昇は、真打昇進を果たして15年後に、春風亭から瀧川へ亭号を変えました。鯉が昇るという自分の名前にふさわしい亭号にしたのです。
というわけで、師匠が許せば、亭号は変えられます。
◯五街道雲助一門の落語家/桃月庵白酒、隅田川馬石、蜃気楼龍玉
▶柳派は一大派閥
亭号には派閥というのがあります。いわゆる会社名は違えど、同じグループ会社というのと同じ。三菱とつかなくてもキリンビールは三菱グループみたいな。
「柳派」といわれる落語家の亭号がまさにそれで、柳家をはじめ、柳亭、入船亭、春風亭、鈴々舎はすべて「柳派」。落語協会の現会長、四代目柳亭市馬の師匠が柳家小さんであるのがその典型です。
また前述のように、小さんの弟子、柳家つばめが真打昇進に当たって改名した落語家こそ、立川談志です。
❷亭号の最高位の名跡って
それぞれの亭号には歴史的に「大名跡」と呼ばれるものがあります。亭号が名字に当たる場所なら名はまさしく名。その中でももっとも重要で高位の名前です。その名前を名乗るときには歌舞伎とおなじく襲名と呼びます。
▶亭号を代表する「大名跡」
◯三遊亭/三遊亭圓生
◯古今亭/古今亭志ん生
◯春風亭/春風亭柳枝
◯林家/林家正蔵
◯桂/桂文治
◯桂/桂文枝(上方)
また先代の功績・印象が強すぎて実際には継げない名跡は「止め名」と呼ばれます。
三遊亭圓生、古今亭志ん生は、まさにそれに当たります。柳家小さん、古今亭志ん朝、立川談志も、事実上は「止め名」と言えそうです。
❸昇進のたびに名前がかわる
落語の世界は昇進のたびに名前が変わる出世魚のような世界。まず落語の世界に入ると前座名をもらいます。前座名は単純なもので本名をもじったり、出身地や趣味、ルックスなどから決まることが多いです。ほとんどたけし軍団と同じようなものw。
その後、二ツ目になるとたいていは改名します。二ツ目の名前は重要で、真打になってもこの二ツ目時代の名前で改名せずに、ずっとその名前を使う落語家もいます。
もちろん改名する人もいて、なかにはその亭号のなかでも歴史的に高位の名前を、真打に昇進したときに襲名するという噺家もいます。
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