ラジオの帝王としても不動の人気を得ている伊集院光さん
伊集院さんのファンであれば元々落語家であったことは、周知の事実。
17歳の高校三年時に6代目三遊亭円楽(三遊亭楽太郎)さんに入門し、二ツ目で落語家としてはリタイヤして、師匠に隠れて活動していたラジオパーソナリティーへの道に突き進む。
そんな伊集院光さんの落語家時代〜現在までをご紹介します。
- 落語家になった理由、落語家をやめ現在のタレント活動までの歴史
- 落語家時代のエピソード集
- 伊集院さんの落語関連トーク動画の紹介
伊集院光のプロフィール
▼プロフィール
- 生年月日:1967年11月7日(54歳)
- 出身:東京都荒川区
- 芸名:伊集院光
- 本名:篠岡 建(しのおか けん)
- 落語家名:三遊亭楽大
- 師匠:三遊亭円楽(6代目)
- 学歴:高校中退
- 各種メディア:Twitter、Instagram、YouTube
Twitterがメイン、Instagramはおもしろ写真、YouTubeはゲーム配信(現在更新停止)
簡単な経歴(芸人&落語家編)
▼簡単な経歴
- 1984年/17歳で三遊亭楽太郎(現・円楽)に入門。三遊亭楽大の名前で落語家になる。
- 1985年9月10日/寄席若竹で初高座。演目は「釜泥」。
- 1987年/元兄弟子の放送作家よりお願いされ、ニッポン放送のラジオオーディション番組に、偽名「伊集院光」で出演し優勝する。優勝の特典として他番組のレポーター仕事をもらう。その後、この偽名でタレント活動開始。
- 1988年/伊集院光のオールナイトニッポン(水曜2部)が始まる。
- 1988年/三遊亭楽大として二ツ目昇進。
- 1990年/落語家であることを偽って出演してたいが、「伊集院光」として人気になりすぎて落語界で問題となり落語家をやめることに。
- 1991年/ニッポン放送のゴールデンタイムで「伊集院光のOh!デカナイト」が始まり、人気爆発!ラジオスターへの一歩となる。
- 1992年/ラジオからテレビに進出。TBSで笑っていいともの裏番組&帯番組「素敵な気分De!」が始まり世間の認知度が上がる。ただしすぐ終わる。
- 1995年/ニッポン放送と喧嘩し、TBSラジオに移籍し、深夜帯に「伊集院光 深夜の馬鹿力」が開始。
- 1995年11月7日/タレントの篠岡美佳と結婚。篠岡姓となる。
- 2002年/「伊集院光 日曜日の秘密基地」でギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティ賞受賞
- 2021年6月13日/落語家として師匠の円楽と「三遊亭円楽・伊集院光 二人会」を開催し、高座に約30年ぶりに復帰する。
▼受賞歴
- 1996年/第4回日本ゲーム大賞 ベストゲーマー賞
ゲーム番組の司会や趣味のゲームの楽しさを発信! - 2001年/TBSラジオ ゴールデンマイク賞
深夜ラジオ「伊集院光 深夜の馬鹿力」での活躍により受賞。ラジオ内でトロフィーをリスナーにプレゼントする企画をやり、怒られた場合は中止と面白半分で企画をしたら、実際に偉い人から怒られて見事中止に。 - 2002・06年/ギャラクシー賞ラジオ部門
日曜昼の4時間番組「伊集院光 日曜日の秘密基地」での活躍が評価されて受賞。個人的にリスナーの疑問(テレビで昔みたアニメ、友達がもってたおもちゃ)などを調査する「秘密キッチの穴」が好きでした。YouTubeに動画オチてます。
なぜ落語家に⁉そしてなぜ落語家をやめたのか

伊集院光さんが落語家になり、そして落語家をなぜやめざる負えなくなったか。
そして落語をやめた後のタレント「伊集院光」としての活躍と、再び落語をやり始めるまでを簡単にまとめてみました。
- 1984年落語家になるきっかけ
高校二年生から不登校となり、暇つぶしにゲームセンターや寄席などに通い始める。その姿を父親がみて、落語に詳しい人が親類にいるから会ってみたらと紹介。親類から更に落語に精通した人物を紹介される。なんと、その人は先代の5代目三遊亭圓楽の実弟だった。
落語家になりたいなら落語家を紹介するという話になった。ただ、弟子の沢山いる圓楽より、その弟子の三遊亭楽太郎(現6代目三遊亭円楽)の方がいいと紹介され、師匠の弟からのお願いということもあり、すんなりと弟子入りが許された。
名前をもらい17歳の時に「三遊亭楽大」として落語家になった。また、卒業間近の3年生時の2月に高校を中退する。
- 1987年ラジオのオーディション番組に参加
ある時、放送作家で元兄弟子の人が連絡をくれた。ニッポン放送のラジオのオーディション番組に出演してほしいとの依頼。
ただ、師匠の承諾なしには難しいと断るものの、超人気のない番組だから名前を変えて出ればばれないとの説得で出演することに。その時に、謎のオペラ歌手「伊集院光(偽名)」と名乗り、見事優勝。
- 1988年落語家として昇進
大師匠の5代目圓楽師匠の昇進に対するいい加減さもあり、前座修業を早々終え、落語家として評価され、三年という速さで二ツ目昇進になった(普通は二ツ目昇進は5年目)。
しかし、この昇進により前座時代より難しい&長尺なネタにも挑戦することになり、自分の中で落語家としていき詰まっていった。 - 1988年レポーター→ラジオ番組のメインになる!
オーディション番組で優勝し、特典としてもらった山口良一さんのラジオ番組でレポーターをすることに。
この時、本職でもないし、適当にやっとくかという肩の力が抜けた状態で適当なことをいっていたら、それが功を奏し3時からの深夜ラジオ「オールナイトニッポン2部」のメインに抜擢。
- 1990年ラジオ番組で人気者になる!
オールナイトニッポンで人気になり、ニッポン放送の月間キャンペーンキャラクターに選ばれる。
そんな時、ラジオをやってることをしらない師匠が、そろそろお前を各メディアへの挨拶回りに連れて行くといわれ、自身のポスターが貼りめぐらされたニッポン放送に行くことになり、冷や汗モノに。
これはまずいと思ったので、直前に今まで嘘をついていたことを師匠に謝罪する。しかし、師匠は怒らず「しょうがねえなあ」という反応で許しを得る。
- 1990年落語家をやめる
ラジオで人気になっていた頃、笑点の若手大喜利の出演者に選ばれることに。しかし、落語家としては息詰まり、ラジオの方に気持ちが傾いていた伊集院さんはその申し出を断ることに。
それが先代の三遊亭圓楽の逆鱗にふれ、直接ではなく師匠の楽太郎(現円楽)に怒りの矛先が向く。笑点の楽屋で楽太郎師匠が激詰めされたときき、下手したら師匠の楽太郎さんが破門にされるかもとの情報がはいる。
しかも、なぜラジオを「三遊亭」でやらないのか、三遊亭がそんなに恥ずかしいのか的な怒りスイッチも入ってしまう。
それでも楽太郎師匠は自分のことを必死にかばってくれたときいて、師匠にこれ以上迷惑をかけることは。。。さらに落語家としても好調になりだしてきたけど、ラジオに完全に気持ちが傾いていたこともあり、落語家をやめ「伊集院光」としてこれからやってきたい旨を話す。
23歳で落語家をやめタレント「伊集院光」1本になる。
- 1992年ラジオからテレビの世界へ
はじめは事務所に所属せず、自分でやっていこうとしてたものの、当時バブルということもあり大金が舞い込むようになる。あまりの大金に自分で管理するのは難しいと「ホリプロ」に所属することに。
ホリプロは伊集院さんを売り出そうと、お昼の帯番組「笑っていいとも」の裏でTBS「素敵な気分De!」の司会としてブッキングさせる。しかし、もちろんすぐ終了。
ただラジオ番組の方は、1991年にゴールデンタイムにニッポン放送で「伊集院光のOh!デカナイト」が始まり、ラジオパーソナリティとして人気絶頂を迎える。
ただ、ニッポン放送との折り合い悪くなり、そんな時にヘルニアで入院。入院中にたびたび見舞いに来てくれた、TBSラジオのプロデューサー(素敵な気分De!がコケてラジオに左遷された人)にニッポン放送の愚痴ばっかりいってたため、TBSラジオへおいでと引き抜かれる。
1995年にニッポン放送をやめ、深夜1時よりオールナイトニッポンの裏でTBSラジオ「伊集院光 深夜の馬鹿力」が始まる。
今現在でも「伊集院光 深夜の馬鹿力」は大人気であり、オールナイトニッポンをTBSの深夜帯の総称「JUNK」が逆転する大きな力になる。
- 2020年再び落語を始める
落語家は師匠いわく破門ではなく休業扱いとなっており、師匠との交流はやめてからも続いていた。
時折、ラジオやテレビで共演などもしており、2020年自身の冠ラジオ番組「伊集院とらじおと」に師匠がゲスト出演した際に、コロナが落ち着いたら一緒に落語をやろうと提案され、約30年ぶりに落語をやることに。
- 2021年「三遊亭円楽・伊集院光 二人会」開催
2021年6月13日に有楽町よみうりホール(キャパ1100人)にて「三遊亭円楽・伊集院光 二人会」が開催(昼夜2公演)された。
※演目のあらすじはリンクをクリック▼昼公演の内容
・円楽・伊集院のオープニングトーク
・三遊亭一太郎「元犬」
・伊集院光「厩火事」
・ナイツ 漫才
・三遊亭円楽「一文笛」オープニングトークでは、あまりにもチケットが即完したことに気を良くしたのか、円楽さんは第二回、第三回、さらに地方公演までやろうと提案していたそう。
また、三遊亭一太郎は弟子&息子&俳優。▼夜公演の内容
・円楽・伊集院のオープニングトーク
・三遊亭楽大「牛ほめ」
・三遊亭円楽「出たり入ったり」
・爆笑問題 漫才
・伊集院光「死神」1時間に渡る死神の熱演と、円楽師匠の不倫を爆笑問題が漫才でいじりまくったそう。ちなみに、三遊亭楽大さんは伊集院さんの落語家時代の名前ですが、こちらは二代目三遊亭楽大。
落語家に関するエピソード集
▼立川談志とラジオで共演
落語家をやめたあと、憧れていた立川談志とラジオで共演した時に「談志師匠の落語の凄さにショックをうけ、落語家をやめました」と、褒めてもらうつもりでいったところ、談志は「ていのいい言い訳が見つかったってことだな」といった。
さらに、「その気持はきっと嘘ではない。でも一度決めたことをやりたくなくなったからでは、自分にしめしがつかない。人間てのは無意識で自分の自尊心を保つために、自分をも騙すんだよ」と言われた。
▼初めてのラジオ出演
初めて出演したラジオのオーディション番組はとにかくめちゃくちゃで、ラジオなのに1回戦はマジシャン、2回戦は顔マネの芸人さんとあたり、不戦勝で優勝したようなものだった。
▼落語家の賞レース
1988年に落語界でのMー1とも言える「NHK新人落語コンクール(現:NHK新人落語大賞)」本選に、「子ほめ」で出場。ちなみに楽太郎から伝授された噺は40-50席以上。
▼落語リハビリ
2005年に「伊集院光 深夜の馬鹿力」で落語リハビリというコーナーを作り、リスナーからの新作落語のネタはがきをもとに、新作落語を披露していた。
▼二代目三遊亭楽大
三遊亭楽大は伊集院さんの落語家時代の名前。そして現在二代目⁉三遊亭楽大がいる。元々伊集院のファンでその名前をもらい、伊集院さんのことを兄さんとよんでいて交流がある。その実力も認められており、真打昇進した際にも祝福した。
伊集院光の企画物DVD&Blu-ray
伊集院光さんが自身で企画・制作・構成・出演した企画物DVDはメチャクチャ面白いので紹介します。
伊集院光のばんぐみのでぃーぶいでぃーVol.1〈全4シリーズ〉

伊集院光のばんぐみのでぃーぶいでぃー vol.1 [DVD]
▼伊集院光真剣ジャンケン
無名の若手芸人7名を集め、じゃんけんに負けた場合は1ヶ月番組出演禁止というルールの、真剣にジャンケン勝負をする。ただのじゃんけんするだけと思うなかれ、そこには伊集院光さんの悪巧みが。
まず、じゃんけんの開始までは3時間あり、他の芸人を呼んで話し合いタイムがある。また伊集院が誘導したりなどの面接がある。これで疑心暗鬼にさせ、仲間か敵か、裏切りものかなど精神が崩壊していく。。。
▼その他企画
- 《お手がるた》子ども向けのちょっとした教訓が入ったプチ大喜利「かるた」を作る企画。
- 《オム喜利》ダイエットできるように、伊集院に食いたくないような大喜利メッセージをオムライスにケチャップく企画
- 《ブスプルサーマル計画》ホリプロの若手女性芸人の中で、いわゆるブスを集め可愛い女性のパーツと自分のパーツをつかって美人に仕上げる。しかし、逆に究極の“ブス”を作る方向に。。。
落語家時代の思い出
落語家なのを隠してラジオ出演していた頃は、一切落語のことを話さなかった伊集院さんですが、落語家をやめた後は、ラジオ等で落語家時代の話をしてくれるようになりました。
そこで伊集院さんの落語家時代の話をしている時の動画を集めてみました。
TBSラジオ「日曜日の秘密基地」
2008年まで日曜の13時〜17時に放送していたTBSラジオ「日曜日の秘密基地」の中で、スペシャル番組として落語家時代の思い出を掘り起こす企画をしました。
▼ラジオ番組内容
- 落語家時代に都電で落語した時にお世話になった人を探す。
- 落語家時代に作った手ぬぐいを探す。
- 長野の温泉地に毎年営業として呼んでくれた、旅館の店主と長野での思い出を探す。
- 師匠のバーターで出演したCM掘り起こす。
中京テレビ「太田上田」
ゲストとして出演し、落語を披露するということになった経緯や落語にたいしての思いを吐露。
ちなみに太田さんは、伊集院さんのことを必ずデブ&豚いじりをします。おそらく、伊集院さんをいまだにデブをいじりするのは太田さんだけ♪
その他、太田さんと伊集院について詳しくは下のリンクを。
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