人間国宝『柳家小三治』の評判・十八番演目・弟子・死因を紹介!

落語家45人紹介
スポンサーリンク
スポンサーリンク

人間国宝の十代目柳家小三治さん(享年81歳)

惜しくも2021年10月7日に死去された10代目柳家小三治さん。

昭和・平成・令和と落語界の巨人として駆け抜けたレジェンド落語家。

高校生の頃に出演したラジオ番組「しろうと寄せ」で15週勝ち抜き、早くから落語家の素養を認められてた小三治さん。その後、落語家になり柳派の正統派として話芸を極めました。

そんな柳家小三治さんのの評判・十八番演目・弟子・死因を紹介します。

柳家小三治の評判
  • 落語家として3人目の人間国宝に選ばれる。
  • 登場人物がいきているかのような錯覚に陥らせ、思わず笑ってしまう自然な落語。
  • まくらが面白く小三治のまくら集がCDや本としても発売。
  • 落語協会会長時代には年功序列を嫌い、実力主義で春風亭一之輔や古今亭文菊を真打に昇進させた。
  • 次世代の古典落語の名手柳家三三』など優秀な弟子を育てる。
  • 多趣味でバイクやスキーや野球などアクティブな趣味を持つ。
  • 得意な演目は『千早振る』『死神』『かんしゃく』など多数
スポンサーリンク

柳家小三治さんのプロフィールと経歴

▼落語家になるまで

  • 1939年12月17日(昭和14年)に東京都新宿区に誕生。父親は小学校校長で、小三治さんは五人兄弟の中で唯一の男として生まれる。
  • 戦争中で東京は危険なので、疎開先として宮城県の岩沼の親類に預けられる。都会と違う田舎での生活を満喫。
  • 戦争が終わり東京に戻される。戦争が終わって1・2年はトタン屋根のボロ家に1家7人で住んでいた。
  • 小学校は淀橋第四小学校に通う。ここでは問題児として学校で名をはせる。小中学校時代は四谷ににある学校まで電車で通っていた。
  • 1958年の高校3年の頃に学校の落語研究会に入り、落語家になろうと決意する。またこの時にラジオ東京の『しろうと寄席』に出演して15週連続で勝ち抜き、実力を世間で認められる。
  • 1958年に東京都立青山高等学校卒業。ちなみに高校のニ年後輩に仲本工事と橋爪功がいた。大学は東京学芸大学を受験し、卒業式には出席しなかった。受かったかはわからないが翌年には落語家に弟子入りした。

▶柳家小三治のま・く・ら (講談社文庫)

スポンサーリンク

▼落語家になった後

  • 1959年3月に教員の父親の反対を押し切り、五代目柳家小さんに入門。前座名「小たけ」。
  • 1963年4月に二ツ目昇進。「さん治」と改名。
  • 1969年9月に17人抜きの抜擢で真打昇進し「十代目柳家小三治」を襲名。
  • 1976年に放送演芸大賞受賞。
  • 1981年に芸術選奨文部大臣新人賞受賞。
  • 2004年に芸術選奨文部科学大臣賞受賞
  • 2005年4月に紫綬褒章受章
  • 2010年6月に落語協会会長に就任。
  • 2014年には春の叙勲で旭日小綬章を受章し、10月には人間国宝に認定。
  • 2021年10月2日に人生最後の高座(府中の森芸術劇場)で「猫の皿」を行う。
  • 2021年10月7日20時心不全のため死去。享年81歳。

▶ムック本 2022年1月号 特集柳家小三治

スポンサーリンク
柳家小三治のProfile

●Profile
芸名:十代目柳家小三治(やなぎや こさんじ)
本名:郡山剛藏
生年月日:1939年12月17日

没年月日:2021年10月7日(81歳没)
出身地:東京都新宿区

●芸歴・受賞歴
1959年3月/五代目柳家小さんに入門。前座名「小たけ」
1963年4月/二ツ目昇進。「さん治」となる。

1969年9月/真打昇進し「十代目柳家小三治」を襲名。
1976年/放送演芸大賞受賞

2004年/芸術選奨文部科学大臣賞受賞
2005年4月/紫綬褒章受章
2010年6月/落語協会会長就任
2014年10月/人間国宝に認定
2021年10月7日/心不全のため死去。享年81歳。

柳家小三治のエピソード集

柳家小三治さんが落語家との出会いや趣味など、興味深いエピソードを紹介します。

落語に出会ったキッカケとは⁉

落語との出会いは中学3年の時。

本人曰く「貧しさの中で落語を聞いてる時に、とにかく心が満たされた。出会うべくして出会った。好きになるべくして好きになった」とのこと。

ちなみに父親は落語家になるのに猛反対だったそう。

父親は小三治さんが五人兄弟の中で唯一の男だったので、とにかく期待をし、もっと違う方向に進んでほしいと願ったといいます。

小三治さんにとってはその期待が逆に、父親への反発にもつながったといいます。

師匠に柳家小さんさんを選んだ理由とは⁉

柳家小さんさんに入門した理由は、高校生時代に出演していたラジオの「しろうと寄席」がキッカケ。

その審査員に、のちに柳家小さんがいた。

ある日、しろうと寄席の楽屋で小さんさんと二人きりになったそう。しかし、小さんは何も話しかけず、一点をとにかく見つめている。

その目がすごく澄んでいて、それを見た時に、師匠に惚れてしまい、この人の弟子になろうと決めたといいます。

ちなみに、初めて師匠に稽古をつけてもらった時、師匠は小三治さんの落語を聞いて「お前のはなしはおもしろくねえな」って言って、どっかにいってしまった。。。そう。

どこが悪いのかと聞けるような雰囲気ではなかったみたいです。

スポンサーリンク

小三治さんの十八番

得意演目は数しれず。世間でいわれてる評判の良い落語を3つ集めてみました。

小三治さんの得意噺

『あくび指南』『うどん屋』『かんしゃく』『看板のピン』『金明竹』『子別れ』『死神』『芝浜』『大工調べ』『千早振る』『茶の湯』『出来心』『時そば』『鼠穴』『初天神』『富士詣り』

『粗忽長屋』

シュールな話が小三治にかかると爆笑に変わる!

〈あらすじ〉長屋にすむ友人の熊の死体を発見した八五郎。おっちょこちょいの八五郎は、理屈に合わないのだが、このことを本人に伝えなくてはとおもって熊の家に行く。実は熊もおっちょこちょい。二人は死体を引き取りに向かうのだった。

▶詳しくあらすじはこちらをご覧ください。

『死神』

有名なオチを名人「小三治」が同料理するのか⁉

不幸な男は死神とある約束をすることにより幸せを掴んだ。しかし、人間の欲望はとどまることをしらない。結局男は約束を破ってしまう。それを知った死神が再び男の元にやってきた。果たして男の運命とは。。。

▶詳しくあらすじはこちらをご覧ください。

『ちはやふる』

小三治得意の滑稽噺の決定版!

〈あらすじ〉「ちはやふる」という短歌のホントの意味を知らないご隠居。だけど物知りで通ってるがゆえに、知らないといえない。勝手に自己流で解釈し、相手からどんどん突っ込まれる話。

スポンサーリンク

人間国宝『柳家小三治』81歳で死去

2021年10月7日午後7時半頃に心不全によりなくなりました。

自宅2階の自室で倒れているのを妻の和世さんが発見し、すぐに救急車で病院に搬送。同日の8時に死亡が確認されました。

マネージャーさんによると前日には弟子達と談笑するなど、特に変わった様子もなく、翌年まで各地で落語会の予定を入れていたそうです。

10月2日に府中の森芸術劇場にて出演もし、落語を披露していました。なくなった当日もいつものように夕食を取り、入浴していてその後、倒れてしまったとのこと。

葬式は故人の遺志により近親者と直弟子ら約20人で密葬を済ませました。

▼柳家小三治さんが抱えていた病気
・リウマチや糖尿病
・2017年に頸椎の手術
・腎機能障害等の入院治療

なくなった小三治さんへの追悼コメント

▼柳亭市馬さんのコメント

つい最近まで、元気に高座に上がっている、と聞いていたので、突然の訃報に接し只々、呆然とするだけです。落語史に、大きな区切りの線が引かれたのは、確かです。何事にも迎合することを嫌い、派手を好まず、極めて芸人らしからぬ、孤高の噺家でした。個人的には、師匠先代小さん亡き後、芸について口やかましい事を言ってくれるのは、小三治師匠だけだったので、いよいよ心細く、寂しくなりますが、「もうあんなに沢山、薬を飲まなくてもいいんだな。」と思うと、少しだけほっとします。小三治師匠、長い間、お疲れさまでした。本当にくたびれましたねぇ。どうかゆっくり、お休みください。有難うございました。

https://www.oricon.co.jp/news/2209846/full/

▼春風亭昇太さんのコメント

柳家小三治師匠の訃報に接し非常に驚いています。最後の高座が10月2日と伺い、あまりにも急なことでご家族の皆さまのお気持ちを思うと言葉になりません。
落語協会会長を長く務められ、また人間国宝として落語界にとって大きな存在であった小三治師匠が亡くなった事は大事な宝を失ったような気がしますが、御一門の皆さんの変わらぬ努力で小三治師匠の落語に対する思いを継承していただけるものと確信しております。
若き日に小三治師匠と番組をご一緒させていただき、よく声を掛けていただきました。最近はお仕事をご一緒させていただく機会が無くお会いする事も少なくなっていましたが、あの頃の想い出と小三治師匠の素晴らしい業績を讃えながら、ご冥福をお祈り申し上げます。

https://www.geikyo.com/new/new_detail.php?id=648

▼弟子の柳家三三さんのコメント

「すぐに病院に行き顔を見ましたが、目の前にすると言葉が出なかった。静かにお眠りになっていました」と涙で声を詰まらせた。

https://hochi.news/articles/20211010-OHT1T51263.html?page=1
スポンサーリンク

落語協会会長として真打昇進を実力主義に変革

2010年6月に落語協会会長に就任した小三治さん。

だれを真打に昇進させるかというルールは、落語協会の歴史の中でとにかく紆余曲折ありました。

1980年には真打昇進試験を開催し、それが原因で揉めにもめ落語協会が分裂したこともあり、1987年にはその試験が廃止されました。

そこから暗黙の了解で年功序列だった真打昇進を、小三治さんは実力主義に変更。

そのおかけで抜擢真打の落語家が生まれました。

▼小三治会長時代の抜擢真打
古今亭文菊〈28人抜き〉 
春風亭一之輔〈21人抜き〉

師匠としての厳しさ

こんだけの落語家なので弟子も沢山います。

柳家〆治、柳家はん治、柳家福治、七代目柳亭燕路、柳家禽太夫、柳家一琴、柳家三三、柳家三之助、柳家小八。

しかも自分に厳しい落語家なので、弟子にも厳しい。

弟子の中でも出世頭の一人。柳家三三さんがこう語っています。

師匠は厳しく入門した人の半分ぐらいはクビになった。 実は師匠小三治から噺を付けてもらったことがない。

スポンサーリンク

30日間無料!
無料落語音源聴き放題!
...Amazon Music Unlimited ...
春風亭一之輔、柳家喬太郎、桃月庵白酒、
入船亭扇辰、三遊亭兼好、三遊亭圓生など
大量の落語が聞ける。
詳しい解説はこちら

9,000万曲が聴き放題!
ダウンロード&オフライン再生OK
PC・スマホ・タブレットOK

コメント