『柳家さん喬』の評判・十八番演目・一門弟子を紹介!

柳家さん喬落語家45人紹介
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古典落語の人情噺が得意な柳家さん喬さん(74歳)

高座ではニコニコとしていて、落語家としての品があるさん喬さん。

柳家小さんの弟子になり落語家人生をスタート。

日本舞踊をたしなみ、詩情あふれる語り口は時にドラマティック。

古典落語の名人だけど、最近は新作落語も披露する。

そんな柳家さん喬さんのの評判・十八番演目・一門弟子を紹介します。

柳家さん喬の評判
  • 柔らかな物腰と語り口で人情噺が得意。
  • 人物描写の巧さ&繊細さでドラマティックな落語を演じる。
  • 得意な人情噺は『そば清』『鼠穴』『うどん屋』『野ざらし』など。
  • 多くの弟子を育てている。いちばん有名なのは柳家喬太郎。
  • 数々の賞を受賞し2017年に紫綬褒章受賞。

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春風亭一之輔、柳家喬太郎、桃月庵白酒、
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柳家さん喬さんのプロフィールと経歴

▼落語家になるまで

  • 1948年8月4日に洋食店「キッチンイナバ」(現在閉店)の次男として生まれる。現在74歳。
  • 落語にふれたきキッカケは近所に寄席や演芸場があったから。父やお祖父さんに連れていってもらってた。
  • 小学生の頃は、将来映画監督や喜劇役者や落語家になりたいと思っていたが、性格は兄の後ろに隠れているような少年だった。ただ、小学校二年生の時、学芸会に無理やり出されて役を演じ、それがとても気持ちよかった。
  • 1963年に中央大学附属高等学校に入学。
  • 大学はエスカレーター式で中央大学にいくはずだったが、1964年の高校二年生の時に東大紛争が始まり、それを見てるうちに行く気が失せて、結局進学を諦める。
  • 大学を諦めて勉強もしなくなり、成績も下降線。進路相談で先生から将来どうするんだときかれ、小さい頃から馴染みがあり好きだったこともあり、思わず落語家にといってしまう。
  • 1967年3月に中央大学付属高校を卒業。落語家になるべく、柳家小さんに弟子入りをしたいと思ったが、当時小さんは弟子をもう取るきがなかった。
    諦めかけたその時、たまたま実家の洋食屋の常連「大沢さん」が、小さんの古くからの知り合いで紹介してもらうことに成功。そして見事弟子入りを許されることに。

▶柳家さん喬一門本 ~世にも奇妙なお弟子たち~

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▼落語家になった後

  • 1967年4月23日に五代目柳家小さんへ入門。前座名「小稲」名乗る。
  • 初高座は1968年12月28日。日本橋人形町末廣の小さん一門会で『道灌』を演じた。
  • 修行時代はそんなに辛いことはなかった。とにかく入門する前から師匠が好きで、自分の憧れていた人のそばで一緒にいれるだけで幸せだった。
  • 1972年11月二ツ目昇進をはたす。「柳家さん喬」と改名。
  • 1980年10月に初めて開催された『真打昇進試験』に合格。1981年3月に五街道雲助と一緒に真打に昇進した。
  • 1984年に国立演芸場金賞受賞。
  • 2013年に文部科学大臣賞受賞。
  • 2014年に浅草芸能大賞奨励賞受賞。
  • 2017年に紫綬褒章受賞。

▶ムック本 2022年1月号 特集柳家小三治

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柳家さん喬のProfile

●Profile
芸名:柳家さん喬(やなぎや さんきょう)
本名:稲葉稔
生年月日:1939年12月17日

出身地:東京都墨田区本所

●芸歴・受賞歴
1967年4月/五代目柳家小さんへ入門。前座名「小稲」
1963年4月/二ツ目昇進。さん喬となる。

1981年3月/真打昇進
1984年/国立演芸場金賞受賞

2013年/文部科学大臣賞受賞
2014年/浅草芸能大賞奨励賞受賞
2017年/紫綬褒章受賞

柳家さん喬のエピソード集

柳家さん喬さんが落語との出会いなど、興味深いエピソードを紹介します。

落語家になろうと思ったキッカケ

高校の進路相談で思わずいった「将来は落語家になります」が、落語家になるキッカケ。

もちろん小さい頃から落語家が好きだったが、実は半分本気・半分冗談のつもりだった。

ただ、その思わず発した言葉が周囲に伝わり、周囲がさん喬さんを落語家にしようと、どんどん動き出してしまったそう。

急に校内に落研ができたり、いとこが落語家さんを紹介してきたりと、どんどん落語家になる方向に進んでしまったらそうです。

さん喬の名前の由来とは⁉

「さん喬」という名前に変わったのは二つ目昇進時。

ただ師匠が同期の弟子が6人もいたことから、名前をつけるのを面倒くさがってつけてくれなかった。

それでさん喬さん自身が、小さんの“さん”と橘家円喬師匠の“喬”をとって『さん喬』と自ら名前つけ、と師匠にお伺いを立てると「おめえがいいなら、それでいいよ」とあっさり決まった。

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柳家さん喬さんの十八番

人情噺が特異なさん喬さん。ただ滑稽噺も面白い。

得意演目は数しれず。世間でいわれてる評判の良い落語は下記の通り。

さん喬さんの得意噺

●人情噺
浜野矩随、文七元結、芝浜、三年目、雪の瀬川、片棒

●滑稽噺
替り目、初天神

▶CDはこちら芝浜・片棒文七元結

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真打昇進試験で初の合格者

1980年に行われた「真打昇進試験」に見事合格し、真打になったさん喬さん。

ではその「真打昇進試験」とはなにか。

キッカケは1978年に起きた事件。当時、落語協会の会長だった柳家小さんは、真打昇進の判断は年功序列的な考え方をしていた。

そこに前会長の三遊亭圓生が実力主義にすべきと意見し、お互いが反発。結局、三遊亭圓生が落語協会を抜け、協会が分裂してしまった。

その原因となった真打昇進の判断を明確にしようと、1980年に真打昇進試験が大々的に開催された。

16名受験中11名合格。その一回目で柳家さん喬や五街道雲助が降格した。

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数々の弟子と師弟関係について

弟子を取るのは、沢山の弟子を育ててくれた師匠への恩返しだとおもっている。

ただ弟子を取るのはやっぱり大変。

自分が死んだらこいつは生活していけるのかと、色々心配毎ばかりがつのるそう。

ちなみに弟子は柳家喬太郎、六代目柳亭左龍、柳家喬之助、柳家喬志郎、柳家小傳次、三代目柳家さん助、柳家小平太、五代目柳家小志ん、柳家㐂三郎、柳家さん花、柳家やなぎ、柳家小きちの12人。

確か14人いるという情報もあります。

▼弟子への教育方針
礼儀作法などをしっかりと教える。
落語は自分の落語に合わせる必要はない。
個性を伸ばし、いい所を褒める。

一番弟子『柳家喬太郎』への思い

そんな弟子の中で最も有名なのは柳家喬太郎。

喬太郎のことをさん喬さんはこう称している。

少し聴いてないうちに、喬太郎は随分成長した。弟子は師匠の名を残すことが出来る。おまえが立派になって、どこへ行っても『さん喬の弟子の喬太郎』と言われる。ありがたいことだ。師匠は弟子を大きくしてやることはできないが、弟子は師匠を育てることができるんだよ

https://honsuki.jp/series/rakugo/12595/
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